開校55周年記念・10月31日母校で校歌をうたう

開校55周年記念文化発表会での「校歌大合唱」と、同窓生懇親会は大成功でした!

21年(2009年)10月31日に開催された文化発表会での校歌大合唱と、夕方からの同窓生懇親会への参加者数は、校歌大合唱に卒業生170名、恩師6先生。9期の同期会を除く各期合同の懇親会には卒業生120名、恩師3先生の参加でした。参加人数も多く、各期の交流も進み、各期と同窓会活動との結びつきも強まる方向に進みました。

文化発表会では、この日のために神戸からお出でいただいた校歌の作曲者中村先生から、創立当時の十中や校歌作曲当時の思い出のお話があり、作詞の谷田先生はヴィデオレターで当時の作詞にまつわる経緯など語られました。

また同窓会・薫風会・PTA からの55周年記念品が、同窓会長から在校生に贈呈されるなど、恩師と卒業生が会の成功に大いに貢献しました。校歌大合唱でも卒業生の声は一番? 大きく響いていました。 参加者の皆さん。ご苦労様でした。

 

◎ 中野十中からの「開校55周年記念行事のお礼と会計報告」を校長・副校長名で頂きました。

 

◎当日の様子及び先生の思い出などを各期の方から寄せてもらいました。文化発表会の和太鼓、記念品贈呈、校歌合唱、及び懇親会での様子などの写真のあとに掲載してあります。最後までご覧ください。

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○ 9期生は当日同期会を開催致しました。

2009年10月31日母校十中にて開催しました。当日は十中開校55周年記念行事があり、文化発表会午後の部に参加しました。在校生の和太鼓の演奏に始まり校歌作曲の中村先生の講演、そして久しぶり校歌斉唱、忘れている友人たちもいたようでした。喫茶ルームでコーヒーを飲みながら歓談した後、坂上の居酒屋(懇親会会場)へと場所を移して盛り上がりました。45年ぶりに再会した友人もいました。みんな年をとりました。

みんな還暦になりました。周りの人に感謝です。       (9期幹事・柳沢道隆)

 

○ 中村茂隆先生

 中学三年生になった時に、中村先生は新卒で赴任されて来られた。先生の初対面での印象は、学生氣分がぬけきらない様に思われた。その為先生と男子生徒の関係は兄弟の様な感じがした。その様な関係を私はほほえましく眺めていた。

先生の授業は、専門的でいささか難しく感じられたが、私達に一生懸命に教えて下さった。私もそれに応える様、努力して良い点を取るようにした。

私達が卒業後、先生は神戸大学(ドイツ留学を含む)に赴任された。

まもなく関西中心に作曲活動に心血を注がれ、現在も各方面に活躍なさっておられます。

                                   (1期生 榎本節子)

 ○ 詩人 牟礼慶子先生

 校歌を作詞した谷田慶子先生が、現代女流詩人として世に知られた牟礼慶子その人である事を私が知ったのは、十中を卒業した遥か後の事だった。30周年記念誌に編集部から求められて十中の校歌について、「背には時代を負い手には友を抱き」ほそぼそと生きてきた私の積年の思いを綴ったのだったが、それをお読みになった谷田先生から一通の葉書が届いた。その時から改めて先生との厚誼が始まり、新しい詩集が刊行される度に贈って頂いた。3年前「300人校歌大合唱」の企画が出た時、私は谷田先生と中村先生に即刻お知らせして、来校をお願いし、素晴らしいひと時が実現できた。今回、再度この計画に両先生の来校を願ったのだが、谷田先生は御高齢により遠隔地からの移動は困難との事だったため、ビデオ・レターでの参加という事となり、先生がお住まいの湯河原ゆうゆうの里に撮影に赴いたのだった。

                                    (2期生 愛甲勝久)

 ○ 恩師 酒井格先生

 私は中学時代酒井先生に半年程英語を習ったと記憶している。その後偶然にも大学で再び英語を教えていただいた。

 先生は長い間‘20世紀文学研究会’に所属され、そこで私の十中の同期生小島一男君の父君小島信夫氏(芥川賞作家)と親交を深めたと伺った。

 小島君はアル中に苦しんでいたが、その時の状況をたまたま酒井先生が父親を通じてお知りになり『文学空間』に随筆として掲載された。その中でわたしについて語り、今回の同窓会でお目にかかった時、この随筆集をプレゼントされた。ほんとうに嬉しく、一人でゆっくりと読んだ次第です。

 また先生のお住まいは我が家のご近所とわかり、またまたこの不思議な因縁にびっくりしている。

                                   (2期 市村公美)