記念誌掲載記事より

 
 「青雲」創刊号


 1962年、第1回卒業生が未だ大学生の頃、中野十中同窓会では同窓会誌を創刊いたしました。当時生徒会新聞は「緑光」を刊行しており、PTA紙は「薫風」を発行するという、創設期の若い熱気が学校内外にあふれていた時代でした。今回50周年記念誌を編集するにあたり、たくさんの資料の中に埋もれていた同窓会誌「青雲」から42年前の母校の内外を振り返ってみようと思います。

「青雲」創刊号…昭和37年11月12日(日) 第五回同窓会総会当日発行(編集 長谷川孝)

 目 次
名誉会長挨拶 学校長 角田力松
同窓会長挨拶 1期生 野田肇雄
先生方の便り 羽山正二(中野六中校長) 宇留田敬一(都教委指導主事)
          江口アイ(十中教諭) 谷田慶子(十中教諭) 吹田逸夫(十中教諭)
          中村茂隆(神戸大学音楽科助手)横張貫太郎(十中用務員)
同窓生の便り それぞれの進学、就職先の紹介と話題がテーマになっています
          季好俊(1期鈴木繁夫:朝鮮人民共和国へ帰国)感興医科大学
          阪本桂造 昭和医科大学、益子道雄 中央大学、三好幸雄 早稲田大学、大谷啓 立教大学
          福田真己子 荻窪高校、第四期K・Y 都立五商、第四期N・H 西高、
          福田紘一 武蔵丘高校、高橋弘子 杉並高校、第一期春田節子 日本精工、
          一期御牧美代子 東京市外電話局、一期3年A組会のお話 長谷川章
修学旅行の思い出は六期の小林邦子、津吉維子、小林隆、今福綾子の諸氏
短歌     井上テル子(十中教諭)
部活の紹介  現役生と諸氏から部活の近況
       物理部 池田輝次、放送部 設楽佳子、コーラス部 藤井美由紀、図工部 関野伸夫
       野球部 菊池雅男、卓球部 矢野皓史、柔道部 長尾正明、剣道部 小菅久男、
       排球部 中川和江
1960年5月3日国立競技場で、陸上部が400Mリレーに48秒9の記録を打ち立てた。
昭和36年秋体育館完成。生徒数も千数百名に達し、いよいよ鉄筋の新校舎建設が計画される。

この創刊号で1,2期生8名での「座談会」が組まれているので、今回転載いたします。
昭和36年6月25日、1期生はまだ20歳でした。

若い先生 すごい教員室 天井から足がニュー
A それではこれから十中の思い出話等についてある程度順を追って話して戴きたいと思います。先ず一番最初は、堀越時代になると思いますが一期生の方いかがでしょうか。最初にあの教室の汚かった事なんかが出てくると思うのですが(笑い)、どうですか。
B 僕が一番覚えているのは最後の引越しだね。
C ひどかったナあの教室は、それにあの頃の先生は皆若くってファイトがあったね。一番汚い教室に入ったもの。高   橋先生って知ってるかな、国語と習字を教えていた、あの先生が余りひどい室なので神経衰弱にかかっちゃったん  だ。
一同 知らなかったなァ
C 何しろガリ版用の更紙を一日積んで置くと下のほうが湿っちゃったそうだよ。本当にひどかったらしい。
B 体に悪いな。
C それにもかかわらずサ、上の方で壁を抜いたり……。

D 僕らの教室は職員室の真上でネ、ちょっと騒ぐと下から先生が上がって来るんだ。(笑い)
B でもあの教室には八十人もいたんだからナ。
A でも三十人いないクラスもあったネ。
C ところでネ、十中で一番最初に怒られたのは僕だよ。入学式の翌日のテストの日に隣の人と話していたら橋本先   生に怒られてネ。あの時はおっかなかったよ。
A 教室の床を踏み抜いたっていうのはA組でしょ。
B 節穴にお金がおっこっちゃうと床をバリバリ上げてネ(笑い)
D 取ろうとしてネ、大丈夫だと思って足をつっこんだら職員室の天井を踏み抜いちゃったんだよ。あの時丁度僕は職   員室にいてね。上から足がニュット出てきた時は驚いたナ。本当に(笑い)
C 先輩がいなかったからその点はよかったナ。
最初の青空生徒会
D 生徒会もよくやったよね。
C しょうがないよ。知らない間にいろんな役についちゃってね。でもあの頃は皆良くやったと思う。金子君なんか、
E 会則を作ったでしょ、あれ作る時、B組で私も選ばれたのよ、でも全然やらないデネ(笑い)
D あの会則は、先生が起草してくれたものを僕達で検討しただけの様なものだったもの。
C しょうがなかったよ、皆小さかったんだから(笑い)だけど、僕等が主体となってするということを教える為にやってく  れたのだろ、だけど何を言っているのかわからないんだよあれ読まされても、それであの会則審議している時、な   ぞなぞなんかやって遊んでいて、(笑い)まったく幼かったナァー。あの頃はドッチボールばかりやったんじゃないの?
B あの暑い日の生徒会の後でやった事覚えてる。
C あの時は暑かったナ、あの時議長やったのが僕なんだよ、それで高橋先生に色々注意されてネ。
D 僕もあの時会則改正の経過報告をやったんだよ、ところがね前もって原稿書くのが面倒くさくってやらないでその日  の朝、高橋先生のところへ行ったら叱られちゃって、だから総会の時は先生の書いた原稿を僕は読んだだけだった  んだ。
B 読めない漢字は抜かしてか?(笑い)
D でもあの総会は良かったでしょ、皆あの階段みたいなのの上にずらっと並んでサ、
C 一番始めだったし、皆熱心だった。
B 一人も騒ぐ人がいなかったものネ。
C あの暑い中で良くやったと思う。それが今の十中に移ってね、そうだ、あの頃はまだお山が二つあったでしょ、
B そう、あったネ、僕なんか小さい頃良くあそこで遊んだよ。
D 僕はね小学校の五年の時かな、今でも北側の校舎の下に防空壕が残っているでしょ、あそこを探検しにいってね。
E 水があったでしょ、
D 中をジャブジャブ歩いていたら途中で懐中電灯の蓋が開いて電池が落ちてしまって、あの時は悲しかったよ。(笑い)
お墓の上に校舎が………
C それから校庭の草取りをやったでしょ
B あの時はつらかったね。夏休みまで狩り出されちゃってね。
A 背より高い草が生えていたもの、暑かったなァー
D 誰か日射病で倒れたらしいよ。
E それからものすごいミミズが出たでしょう。
C あの頃の事は二期生の人達は知らないんだネ
F 僕達が入った頃もあの山は有りましたよ、でも草はなかったですネ
B 何かあれは古墳だそうだったけど?
A それで何時だったか発掘したんだよ。
E ああ、そうそう、それから段々その穴が広がってって、とうとうなくなっちゃったのネ
D でも何も出なかったんだろ?
E 噴火口みたいに穴があいていて、中に入って遊んだじゃない、
A それから北の方にお墓があったでしょ、それでそっちへ行っちゃいけないなんて云われてね、そのお墓の上に校舎が建ったんだよ。校庭で人の骨をひろったりしてね。
C 今北側の校舎が建っている下の所でしょう。
D 全部お墓は移したんでしょ。
B まさか骨の上で勉強しているなんて今の人は思わ
ないだろうね。(笑い)
A 警備員の人が夜まわるのがこわかったって云っていたもの。
D 池を造った時も骨が出て来たしね。
最初の運動会
B 新校舎が出来た時は、一生懸命床をみがいたっけ。
D ワックスをぬらされたんでしょ?
一同 あれは大変だったなァ。
C その校舎を新入生に与えるって訳だったのかい?
A 結局、僕達が新しい校舎に入っちゃったろ。僕達はずっと新しい校舎を使ったんだから。
D 校舎だけは新しかったんだけどネ。プールもない。特別教室もない。体育館もない…(笑い)
A 何もなかったもんネ。
E 今プールあるの?
D ない
C すぐ下の小学校のプールを良く借りたね。
A だけど、今度体育館が出来るからね、一番最初の運動会覚えているかい?
B 大変だったよ、走りくったり、くぐったり、大活躍だったよ(笑い)
D 何しろ小さかったけど、張り切っていたよ。初めての行進だったでしょ。
C 僕はあの時、旗持って行進したんだよ。
A あの時の運動会で、行事委員会ってあったでしょ、僕があれをやってて、宇留田先生なんかと一生懸命やったの覚えている、なつかしいな。
D 僕は小学校の頃は足が遅くてね、ところが中学に入って、スポーツに熱を入れだしてからちょっと速くなったんだよ、それで、今度は賞品をもらえるわい、なんて喜んでいたら賞品が出ない事になっちゃって、
F リボンなんかでごまかされちゃってね。(笑い)
C あの頃の先生皆本当にいい人だったなァ、
B 卒業の時に最後に何かやったね、
A 謝恩会だね、あの時にほら、伴先生の婚約が発表されて
E あァ、そうそう、先生ったら真赤になっちゃってネ
D 羽山先生も良くやってくれたね。
C 野球が好きだったしね、
B スリッパに自分で学校の名前を書いたり、
A 水道の所に板を二枚重ねて水がはねかえらない
  様にしたり、ホラあの事務室や職員室の前の所なんか、
C 野球って云えばね、僕達の頃は強かったネ、中さんとか力さんとかがいてね。
  愛の花咲く職員室
B ところで、この席にはテニス部員が多いな。
D あのテニスコート、サイズが小さくてネ
B バスケットのコートが隣にあったからちゃんと出来なかったんだよ。バスケットコートも小さかったんだよ。
A でも今は、テニスコートの上に校舎が建っちゃったろ、ガッカリしたな。
C ところで今の校舎はどうなっているんだ?
B 元の丸い花壇やテニスコートをつぶして、あそこに新しい校舎が建っているんだよ。
C 残念だなあ。
B 今度体育館が出来るし、ロの字形になっちゃうんだよ。
C 昔の面影がなくなっていくな。
A それでも、学校へ行くと、壁の所に大きな穴があいていて、昔のままだよ、あの穴は(笑い)、ところで職場結婚が   幾組もあったんじゃないのかい?
B 高橋先生と西野先生だろう、それから中林先生と立木先生。
D それから増田先生と安藤先生なんか、西野先生と高橋先生の結婚は、全然予測できなかった。
E 私も
D なにしろ先生が皆若かったから、さぞかし職員室は大変な事だったろうね。校長先生も大変な事だったろう、縁結びで、ところで二期生の人達は最初十中に入った時一期生の事どんな感じだった?
G 私達と全然違って頼もしくて……、とても私達が年下に感じました。
C 西野先生に聞いたんだけど、僕達が英語の劇をした時は随分二期生が感激したってネ
A たしかにうまかったよ。
F でも意味が解らなかった。
B だってやっている僕だって意味が分かんないでしゃべっていたんだもの(笑い)
C あの頃はまだ純情でね、劇の中で女の人と手をつなぐところがあったんだよ、指導に来た外国の人からもっと大胆  にやれっていわれるんだけど恥ずかしくって……(笑い)…外国じゃ当たり前の事なんだけど。
  創造の喜びがあった
D アノーホラ、校章さ、あれ作ったのは?
C 吉村君だよ。彼は小さい時から絵がうまかった。
D 吉村君はバッジのデザインをしたんだよ。
B 鳩のついた方だろう。
D 徽章はあのペンが十字になっている。
A 誰だったかな?ぼく達も図画の時間に考えさせられたナ、それから作品を展示して皆で投票したんだよ。
E 校歌は先生が作ったんでしょ。
C 中村先生が作曲で谷田先生が作詞。
A ところでありふれた質問だけど一番印象に残っている事と云ったら?
C そういろいろ印象に残っているけど、
H 運動場の草むしりをしたでしょ、二期生を迎えるために、
A それから皆で一列にズーと並んで石ころやガラスのかけらなんかを拾ったでしょ。僕なんか高校を卒業する時に先  生に文句を云ったんだよ、中学の時はもっと創造的な雰囲気があったのにって、ネ。何か創造の喜びというか、そ   んなものが感じられたんですがね。どうでしょうか、二期生のみなさんは?
F あの別に一番印象に残ったという事でもないけど、入学式の時に橋本先生がアノー、演劇部に吉田っていたでしょ、彼の事を「吉田茂!」なんて呼んで
ネ、おかしかったナ。それから生徒会長の立候補の時はやりたくもないのに出ちゃったり、
C アー立候補制か僕たちの頃は違ったな。
F 演壇の上に立ったらなんだかあがっちゃって同じ事を二回云ってみたり(笑い)
G 私なんかいつも思い出す事といったら中学時代の事なんです。随分と楽しかった。アノー遅刻なんかを調べたり…  …門を閉められちゃっていつも小使いさんにもっと早くこいなんて……(笑い)生徒会では会計をやれって云われて  、いやだいやだと云ったら誰かがなにもしなくて良いと云ったのでなったけど、仕事はなにもしなかった事だけ覚え   ています。今から思うと悪かったと思います。(笑い)
どうして日曜日に運動会をやらないのだろう
A ところで最近十中に出かけていくと僕達の頃と大分感じが違うんです、最近学校へ行った事のある人、今の十中と  僕達の頃を比較してみてどうですか?
D なんといっても感じちゃうのは、僕達のいた頃は人数が少なかったでしょ、先生方の雰囲気も家庭的だったし、先生  と生徒の間も何か親密な感じがしたのに何か用事があって行くとすごいもんでネ、大世帯で、なにしろ先生だけで   一組出来る程だから、それだけに何というか暖かさが感じられないネ、それがちょっと惜しいと思う。
A 僕達のいた頃は家庭の中にいるような雰囲気だったでしょ……職員室に火鉢を持ち込んで、それに毛布かけてコ  タツの様にしてあたりながら先生と一緒におしゃべりした事があったものネ、だからそのつもりで学校に行くと全然   違っていてね、何か大きな機構の中に入っちゃった様で、先生達も一人一人全然余裕がないらしいんだね、だから  とっても感じが違うよ。
G 私なんか、運動会とか同窓会とか必ずでもないけど出来るだけ行く事にしています。それでこの間も運動会に行っ  たら素晴らしいバンドができていて…… 何か規模が大きくなった感じがしました。
E それに比べて校庭が狭くなって
F 十中の運動会ってどうして日曜日にやらないんだろう。
一同 そうだよね。
D それを先生に云ったんだよ、そうしたら傘下に六つの小学校があるでしょ、それで大抵小学校が日曜日にやるから十中も日曜日にやろうとすれば時期はずれになるらしいんだよ。
H 日曜でなくちゃ私達行けませんものネ
E 私達の頃に日曜にやらなかったのはテントが借りられなかったからなのよ、小学校とぶつかるとネ(笑い)今はどう  だか知らないけど。
C あの校旗はどうしたかな。
B 毎日週番か何かで上げたり下げたりしたな。
A その校旗でなくて、あの立派な方だよ。僕達が贈った。あれ二十一万かかったなんて江口先生云ってたよ。三越で  一番上等なのだって。
G 学校に進歩があって変わるのは当たり前かも知れないけど、行く度に何か面影が変わっていくのは淋しい事です
A 又今度ガラッと変わる様だから、
D もう新しい校舎の構想も出来ているらしいよ、
  鉄筋の三階建てのね。でも僕達の頃の良い面も残しておいてもらいたいナ、
B 僕達の頃は何か本当に先生と密接だったものね。何かこれが十中だという校風を
A まあ今迄で現在の十中の姿というものがある程度出てきたんですけど、これからもどんどん十中の姿というのは変  わって行くと思うんです。
卒業生としてこういう風に変わって欲しいという点をひとつお伺いしたいのですが、これからも生徒の数がそんなに減る事はないと思うんですが、
H 何も勉強本位に学校自身がもって行かなくても良いからなるべく軌道からはずれた様な人間をつくらない様にして  もらいたい。
E なんでも良いから、何か一つ十中の色といったものが残るのを希望するな、それだけは十中のものだっていうもの  を、
一同 そうですね。
C 校風が出来るのはやはり、かなり時間がかかるからな、僕ら残すつもりで一生懸命だったんだけど、
E 何か私達一期だけの雰囲気になってしまって後まで続かなかったのよ、
A まあ十中もいわゆる中野の十中から東京の十中、日本の十中というようにいろいろの面で少しづつ、発展して大き  な成果を上げて、短時間で相当知られた学校になって来ている様なんです。そこで僕達もこれからの発展を大いに  期待して座談会を終わりにしたいと思います。どうも有難う御座いました。

座談会出席者
 (1期)長谷川章 三好幸雄 天城美枝 野田肇雄
 (1期)春田節子 長谷川孝 
 (2期)落合隆 稲田雅子

このほかの記事に第四回の同窓会総会の報告があり、この年までは毎年総会が開かれていたことが分ります。